シンポジウム
『アメリカ契約法の新しい発展』
10:00〜10:10
シンポジウムの趣旨
笠井修(中央大学教授)
20世紀後半は、アメリカ契約法学にとって輝かしい隆盛の時代であり、わが国を含む諸外国から見て羨むほどの華々しい成果を生みした時期であった。その成果は様々なかたちでわが国にも紹介・分析されたが、その後、そこで生み出され展開された理論はどのような運命をたどり、今日いかなるかたちで存在しているのであろうか。また、それは伝統的な契約法理にどのような影響を与え、そこにいかなる変革をもたらしたのか。このシンポジウムは、主として21世紀に入ってからのアメリカ契約法学の新たな発展を振り返り、また、その今後を展望しようとするものである。
今世紀に入ってからのアメリカ契約法学は、急速な取引技術の進歩、COVID-19パンデミックによる取引社会の変質、国民意識や人口構成の変容などの多様な社会的要因の中で、前世紀後半とは大きく異なる環境の中にあった。そのような環境の変化に促された今日のアメリカ契約法の変貌と現状をいくつかの視角の中でとらえなおそうとする企画である。
この30年ほどのアメリカ契約法の変化は容易に視野に収めることが難しいものであるが、このシンポジウムでは、(1)契約法理論、(2)契約解釈、(3)救済、(4)免責、(5)隣接分野からの影響の5点のテーマを取り上げ、それぞれの状況を分析・検討することにより、わが国から見た現状認識を更新するとともに、新たに生じてきた課題とそれに対する新しいアプローチの可能性を考えたい。
まず、基調報告において、前世紀末に展開された理論の動向をふまえて、今世紀における議論が何を目指して展開され、その試みが現在どのような状況にあるのかを再認識する。契約法に含まれる複数の原則や政策を何らかの核となる視点においてとらえ、統一的な契約法理論を得ようとする姿勢とより多元的なアプローチの展開を志向する考え方とのせめぎあいが、今日どのような形をもって展開されているのかを論じる。そのうえで、今世紀になって生じてきた新しい環境変化の中で、契約法学がどのような挑戦を受けているかに目を向ける。
次に、契約解釈論は、かつては比較的静かな状況にあったが、前世紀末から今世紀にかけて新しい試みや研究が現れ、今日では特に注目するべき発展分野となっている。それを促した要因の一つは法と経済学のアプローチが契約解釈論にも入り込んできたことにあるが、ここで、この30年ほどの契約解釈の技法と理論を振り返り、その新しい潮流を眺めることにしたい。
また、契約法の核心的論点としての救済法理については、伝統的なハドレー・ルールにも変革の波が及んでいることを取り上げる。ハドレー・ルール自体に対する批判は古くからみられたが、今日それが注目されるのは、上記のような状況の中でより本格的な代替案が具体的に示され、新しい法理へと発展する基盤を整えようとしていることにある。
免責法理については、伝統的な厳格責任の原則が様々な方面から挑戦を受け、新しい免責法理へと発展しようとする状況を見る。特に、faultに着目した近時の議論に着目し、この30年ほどの新しい議論を分析し、no-faultによる免責が新たな免責の枠組みとして承認される可能性を検討する。
さらに、アメリカ契約法学に大きな活力を与えてきたのが、隣接諸科学からの影響であり、「法と…」と表現される分野は経済学・心理学・哲学・金融工学などに及ぶが、ここでは、特に行動経済学が契約法に及ぼした影響を消費者法リステイトメントの起草を素材として分析する。
10:10〜11:00
基調報告(1)
The Evolution of U.S. Contact Theory in the 21st Century
Robert A. Hillman(Cornell Law School)
My basic goal is to compare U.S. contract law theory in the mid-to-late 20th
century with current contract law scholarship. My overall thesis is that prominent
scholarship of the last quarter of the 20th century's focused on developing
a unitary theory of contract law. In this pursuit, scholars employed several
different methodologies, although the primary goal was to develop a core theory.
Ultimately, this scholarship largely failed to persuade analysts because of
contract law's multiple principles and policies. Today's contract law analysts
instead seek to resolve specific and current issues at the forefront of contract
litigation, including enforcement of contracts during a pandemic and in the
electronic age.
11:00〜11:20 質疑応答
11:20〜12:00
報告(2)
契約解釈論の新しい潮流と将来の課題
根本鮎子(弁護士・アクアシス法律事務所)
「契約を誰がどのように解釈するか」に関するアメリカ契約法の理論は、前世紀末以来めざましい発展を遂げている。特に、アメリカにおける伝統的な契約解釈の手法の対立(形式主義と文脈主義、客観主義と主観主義)に対し、2000年以降は、法と経済学の観点からの検討が進み、契約解釈に関する議論に大きな影響を与えている。また最近では、当事者、解釈者や契約の類型により解釈手法を区別する考え方にも議論が発展している。その中で文脈主義から形式主義への揺り戻し(あるいは現代的な形式主義への進展)もみられ、他方で、経済的効率性を過度に重視する立場に批判的な論調もある。
このような動向を、紹介・分析して、最近のアメリカの契約法学における解釈論の潮流を考察し、あわせて、日本における契約解釈の手法や考え方に対する示唆を読み取り、また、アメリカ法準拠の契約交渉・紛争に携わる日本の法律家の業務に対しても一定の情報提供を行いたい。
12:00〜12:20 総会前半
12:20〜13:50 昼休み
13:50〜14:00 総会後半
14:00〜14:40
報告(3)
ハドレー・ルールの変容と批判
難波譲治(中央大学法学部教授)
契約違反による損害賠償の範囲については、1854年のHadley v. Baxendaleで示されたルールが、イギリス法、アメリカ法、さらにヨーロッパ法、日本法等の基礎となっているのは周知のことであり、アメリカ契約法リステイトメント、UCCもそれを受け継いている。
しかし、ルールの内容はその後のVictoria Laundry v. Newmanなどによって進展があり、従来から議論が長く続いている。2004年には、Gloucesterでハドレー事件150周年記念シンポジウムが開催され、そこではルールへの批判が多くみられた。その後、イギリスでは、意思中心理論を主唱するKramerらの見解が現れ、2008年には最高裁がアキリーズ事件判決(The
Achilleas)においてそれを取り入れ、ハドレー・ルールは重大な変容を示した。これは我が国の416条に関する議論と共通するところがあり、興味深いものである。もっとも、この判決の理解は分かれているようである。他方、アメリカでは、Posnerに始まる法と経済学からの根拠付けが多く行われ、ペナルティ・デフォルト理論を中心に発展しているところである。
本報告では、上記シンポジウム、アキリーズ判決に加え、Kramer、Tettenborn、Eisenbergら、ハドレー・ルールを批判する注目学説を中心に取り上げることとしたい。
14:40〜15:20
報告(4)
免責事由の構造に関する新展開――no-faultによる免責の発見とその議論状況
木戸茜(京都府立大学公共政策学部准教授)
19世紀半ばにイギリスから絶対責任の原則が移入されて以降、アメリカ契約法においては、契約により義務を負った場合、契約中に特段の定めがない限り、どんな理由によっても免責されることはないと考えられてきた。他方で19世紀末頃には絶対的責任の例外を示す判例が出現し、後発的履行不能、実行困難性、契約目的の達成不能といった契約締結後の履行免除事由法理が確立してきた。
こうした履行免除事由法理の適用について、法の経済分析の立場からは、どちらがより低コストでリスクを回避できるかという単一の基準によって決することができると説明され、それが広く受け入れられてきた。また、法理の適用にあたっては、契約締結前の当事者の期待だけが考慮されるべきで、契約締結後の期待は一切考慮されないと考えられてきた。
これに対し、2009年のEisenbergの論稿(Melvin A. Eisenberg, ‘Impossibility, Impracticability,
and Frustration’ in The Journal of Legal Analysis Vol.1 No.1 (2009) at 207-261)は、誤った黙示の推測を両当事者が共有していた場合、当事者が合理的に予想し得たリスクよりも著しく大きな損失を約束者が被る場合についての2つの免責の基準を提唱し、大きなインパクトを与えた。ここで示されたのは契約当事者にfaultがないことによる新しい免責の枠組みであり、免責の判断にあたって裁判所は事後的な要素を考慮するとされた。
そこで本報告では、Eisenbergの主張の骨子を紹介するとともに、法と経済学の立場からの反論をはじめ、その後のアメリカ契約法に与えた影響を検討する。
15:20〜16:00
報告(5)
契約法における経済学の影響の現在――消費者契約法リステイトメントにみる行動経済学的視点の導入
柳景子(福岡大学法学部准教授)
従来のアメリカの「法と経済学」学派は、合理的な人間像を前提としていた。他方で経済学の分野では経済心理学及び行動経済学が興隆するとともに、常に合理的な判断をする人間像を前提とした経済モデルに疑問を呈する立場が有力となってきた。この影響は契約法にも見られ、一部の学説は行動経済学の知見を引いて契約法を分析する試みをしている。特に、近年これらの試みは消費者契約を対象としたものが多くなっている。
このような状況の中、最近のアメリカ契約法の動向として注目に値すると思われるのは、2023年に成立したばかりの消費者契約法リステイトメントである。同リステイトメントは「非良心性」(unconscionability)
の規定を含むが、その公式注釈は、契約(条項)が非良心的か否かの判断基準の一部にsalience という概念を導入した。この salience とは、この語の解説として公式注釈も引用するRussell
Korobkin の論文で言及された概念であり、同論文においてKorobkinは行動経済学を参照したことを明らかにしている。このため、上記リステイトメントは非良心性の条文において、少なくとも間接的に行動経済学の知見を取り入れたと考えられる。
本報告は、アメリカ契約法に経済学が与えた影響について上記のような動向を概観し、消費者契約法リステイトメントにおける行動経済学的な知見を紹介する。
16:00〜16:30 質疑応答・討論